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日常的に在る風景のほんの一瞬を描いている。

 

個々の身体が実際に取っている距離感と、体感としての距離感は必ず一致するものではない。

 

身体的な感覚が体外の範囲にまで疎通しているように思える瞬間があり、それは空間や他の個体を包容する。

 

身体的 / 体感的な距離感がせめぎ合う様子は、とても日常的で人間らしい営みのように思える。

 

しかし、個々の身体が疎通し境界線を失くした瞬間には、また一つの単体となって、個体へ還る。

I am currently working as a painter in Kyoto, Japan. I am very interested about the daily communication of people. Everyone has their own bodies and our bodies each have their own accompanied gender. In our daily life, we use our bodies, make eye contact, speak and touch other people. However, when we communicate, it usually happens to us at a distance and conveys the distance between physicality and our mental state. The mental distance is various and not balanced. However, the mental distance is more important than the physical one in many cases. Moreover, I believe that gender influences our actions through small daily communication. This phenomenon occurs constantly and can be felt in human daily life.

「 Sofa 」 2015 / 606×727mm

「 Birthday 」 2014 / 910×652mm

 

身体を持って生まれてしまった事への不信感や恐怖感が私が作品を制作する動機です。

 

画面の中に描かれる身体には人格を付属させていません。私は身体を感覚の器(道具)として捉えて描いています。

作品上では、私がその時々で表現したい感覚の揺れ動きを表すための器として身体を扱います。感覚は日常的に他の個体と疎通し、個体の境界線を越えては他所の個体へとセンサーを張ります。

 

絵の具を厚塗りしたペインタリーな技法を画面の要所ごとに用いているのは、画面上で描きながら絵の具を混色させることで物質・色彩の両方の面で流動性を感じさせるためです。

キャンバスに貼り付けるように画面を停止させてしまうのではなく、絵画は鑑賞者に合わせて呼吸しなければならないと私は考えています。

画面に物質量感と流動性をもたらすことで、肉付きのように、また、それが生々しい生命感を帯びるように呼吸をさせています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シリーズ展開している「figure」について説明します。

画面上で抱擁し合う人物同士は親密な状態に見え、身体の境界線も、どの部分が境目なのかを曖昧に描かれています。しかし一方で、鑑賞者が作品と距離を置いて全体を眺めると、空間の中に浮かび上がる人物のシルエットは再び「一つの個体」であるかのように感じられます。

一つの作品の中に、画面と鑑賞者の距離感によって生まれる相対的な見え方を盛り込むことで、存在の単位自体に不安定さを発生させています。

 

私が作品を通して表現する身体と、それを包囲する世界の姿は、割り切れないような矛盾と不安定さを孕んだポーズを常に取りつつ、一方で、そのような事とは全く無関係かのように無条件に美しくもあります。

ルミナスピンクや水色、パール質の絵の具などの明るめの色を中心に用いている理由は、私が作品に含ませたい要素が「それでも世界は美しいのだ」という確信や、日常に無条件に存在しているポジティブな希望であるからです。

「 figure (Little girl and Little boy)」

 2014 / 190×240mm

「 figure (Man and Woman)」

 2014 / 190×240mm

「 figure (Man and Man)」

 2014 / 190×240mm

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